#318 益子焼(栃木県・益子町)
関東平野の北東部に位置する益子町。田畑の広がる平野の背後には雨巻山や芳賀富士などの山々が見えます。 7世紀ごろから作られていた須恵器(陶質土器)は一度は廃れたものの、江戸時代末期から再び作陶されるようになりました。砂気が多く粘性の低い益子の土からできる器は、割れやすく重いという特徴があります。そのため、当初はかめやすり鉢、土瓶などの庶民の台所道具がつくられていましたが、現在は食器に適した土が配合されています。柳宗悦や、大正13年にこの地へ移住してきた濱田庄司らが提唱する「民藝運動」によって日用雑器から民藝品として世の中に広く知られるようになりました。
土は益子の協同組合で採取した地元の土に、食卓用の器に適した土を配合したものを使用しています。機械ろくろにより成形し、1ヶ月に5000個以上の器がつくられますが、本焼成までの工程すべてに人の手が入ります。